パネル討論概要
Q1-1. (松井)
防災には原子力災害も含められていたと思いますが、自然災害と原子力災害の位置付けについて防災基本計画の見直しを含めてご意見があればお願いします。
A1-1.(河田)
わが国の災害対策基本法は今年で制定50年になり、国は東日本大震災の前から同法を見直す準備をしていました。この法律は、1959年の伊勢湾台風、その前年の狩野川台風の連続した被害を契機として制定され、国も個人も貧しい時代に制定されたため、基本的な考え方は、同じ被害を繰り返さない、再発防止です。被害が発生しない限り、法律の見直しが行われず、阪神大震災後に部分改定されました。
災害対応で先行投資を可能としたのは、東海地震を視野に入れ1978年に制定された大規模地震対策特別措置法(大震法)です。これが唯一の例外であり、それ以外は、再発防止の考え方に立っています。この法律が基本のため、原子力も予防がメインでなく、再発防止のためにはどうすればよいかということを考えです。
現状に合わなくなってきたため、防災基本計画を全面改定する計画であり、関連した事項も含め広域避難等も全面改定せざるを得ない状況になっています。
A1-2.(首藤)
原子力災害対策特別措置法(原災法)は災害対策基本法(災対法)をベースにしていますが、原災法及び災対法の中で原子力災害を想定していなかったわけではないと考えています。しかしながら、想定されていた原子力災害は、TMI事故、チェルノブイリ事故のように原子力施設自体が事故を起こし原子力災害が発生する事態のみでした。
2007年の新潟県中越沖地震において、原子力発電所において火災が発生し大きな不安を与えたことから複合災害を考えようという動きがあり、原子力安全・保安院保安部会で検討を始めましたが、中断してしまいました。相当の地震対策を行っており災害発生が想像できないと思っていたこと、地震対策が不十分と指摘されては困るという声があり、その先に進まなかったと認識していますが、残念です。
原子力は、深層防護の考え方といった、よい哲学を持っていると認識していますが、地震と原子力災害の複合災害についても同様な考え方に立った対策を講じていれば、もう少しうまく対処できたのではないかと思います。
Q1-2.(松井)
広瀬先生のご講演の後半部分に今の話題とリンクするところがあると思いますが、問題点の提起といった観点で掘り下げてご説明いただけますか。
A1-3.(広瀬)
原子力事故について種々の事象と進展が想定されていますが、壊滅的カタストロフィックな事態になるというようなことは起きないと信じたいという願いが強く働き、とにかく安全だというキャンペーンをして、一般市民に納得してもらうという一種の事故否定、安全説得の論理が働いていたと思います。
大震法は特殊な法律で、東海地震の直前予知ができるという架空の前提をおいて、多額の資金が東海地方の静岡県を中心とする地域に投入されました。今後このような法律はできないと思いますし、おそらく世界にも例はないと思います。
現行の災対法では、緊急事態宣言は総理大臣が行いますが、避難指示や避難勧告を出すのは自治体の首長であり、極めてローカルな災害にしか対応できません。災害レベルに応じて、どこが主体かを明確しなければ、原子力を含む巨大災害には災対法は対応できず、これを基盤として作られた原災法では原子力災害には不十分だと思います。
A1-4.(河田)
首都直下型地震、あるいは荒川、利根川の氾濫という事態は、首長が対応できるレベルではありません。例えば、足立区の全区民が避難しなければならない場合、避難先は都内ではなく埼玉県になるのです。勿論、緊急対策本部とか非常事態対策本部が政府レベルで立ち上がるにしても、今の災対法では、都道府県知事が前面に立ってやるということで、これでは、原子力災害の場合には対応できません。それを改定しようと、内閣府に検討部会が設けられています。
Q2-1. (松井)
自然災害の大きさ、影響、頻発生度等はどこまで考えておけばよいのでしょうか。
A2-1.(河田)
オランダの高潮堤防の高さは、高潮発生確率を1万年に1回と考えていますが、8千年に1回としてもあまり変わりません。自然災害の発生確率は、あるところで頭打ちになる傾向があって、10-6/年を超えることはなく、10-4から10-6程度を考えれば十分で、とんでもなく膨大なコストが掛かると考えることはありません。
先ず実施しなければならないことは、発生確率と想定される被害などを定量的に示したリスクデータセットをきちっと国民に示し、生活空間の中にある、いろいろなリスクに対してどの位まで許容するかを考えればよいと思います。定量的な評価がなければ構造物の設計はできません。感覚的でなく、定量的な根拠を示し、それに基づいて皆がカンカンガクガク議論して合意形成していくプロセスが民主主義のプロセスではないかと思います。安全問題とは、民主主義の成熟が問われていることと思います。
Q2-2.(松井)
どこかで線引きする判断が必要となりますが、それはリスク管理の中で人々と社会をどのように考えるかとリンクしていると考えますが、如何でしょうか。
A2-2.(河田)
現在、43市町村で津波防災まちづくり計画を検討していて、来年3月までに終る予定です。宮城県も岩手県もレベル1(数十年から百数十年に1回程度発生する津波)で防潮堤の高さを決めています。これからのまちづくりにおいては、多重防御に資する国道45号線をどれだけ高さの盛土構造にするかといった個別具体的に判断シミュレーションを行って、高台に移転する集落の高さも含めて決めなければなりません。一般論を現実に適用する時には、災害の大きな特徴は地域性ということで、個別具体的な条件が被害の大きさを決めるのです。
自然現象の規模と発生する被害はリニアに変化せず、どこかに変曲点が出てきて、それを超えたら大きな被害が発生する傾向があり、その変曲点を探るのです。
安全の問題は、具体的に現場での検討・評価が必要です。原子力発電所も福島と女川では条件が異なります。一般的な取扱いをベースにはするのですが、現実は個々のケースでどのようになるかということを見極める必要があります。
Q2-3.(松井)
首藤先生、ご講演の中にあった高台の話から何かあれば、お願いします。
A2-3.(首藤)
前の話題の中で、原子力災害、あるいは大きな災害対応には国が出て行かなければという話がありました。それを否定するつもりはありませんが、そうだとすれば、国がすごく力を付けなければならないと思います。現実に、JCO事故で避難を呼びかけたのは東海村でしたし、今回の災害でも国より先に避難を呼びかけたのは福島県でした。現場のことをよく知っている自治体の方が的確な判断を素早くできるので、国にやらせた方がいいとは思いません。国にやらせるのであれば、十分力をつけてからと思います。
河田先生のご指摘のとおり、物を作るには、どこかに線引きが必要であることは理解できますが、原子力発電所の場合、発生頻度だけではなく、自然災害を含めてどこが弱点なのか、例えば、ここの機器がダメージを受けたら、このような影響が出るかといった別な見方での検証が必要かと思います。リスクをどのように想定するのかということと異なる、受ける影響の想定という考え方も必要と思います。
A2-4.(広瀬)
災害、特に大災害は、一種の戦争だと思います。日本では、大きな災害とか事故の際、国が責任を地方に押し付けている構図があるのではないかと思っています。住民避難を一番に行ったのが福島県であったということは、一種の欠陥状態だと思います。今回の原子力災害のような大災害に対して、国が危機感をもって対応しないといけないということは、紛れも無い事実です。国が災害と戦うというスタンスが、わが国に欠けていることが、非常に大きな問題だと思っています。
安全が確保されてくればくるほど、逆にリスクに対する関心は高くなります。そうすると、より多くのコストをかけて安全を確保しなければならないということになります。そうしないと現代の我々は安心を得られないのです。原子力の問題は、事故が発生することを前提に、安全確保を考えなければならないのです。
問題なのは、いわゆる日本の安全神話の問題です。1994年1月の米国カリフォルニア・ロサンゼルスの地震で高速道路が寸断された時、日本ではそういうことは起こらないと言われました。だが、翌年1月の阪神淡路大震災では高速道路が倒壊しました。原子力の場合、チェルノブイリ事故後に、日本では大きなシビアアクシデントは発生することはないと言っていましたが、実際に発生しました。日本は特殊だ、日本は安全だ、日本ほど安全を配慮した国はないのだと思いあがること自体が大きな問題であったのです。
我々は、どんな災害も発生し得ると考えることが必要です。大規模な災害であれば戦争状態と同じで、国が総力を挙げて災害と戦う姿勢を示す必要があります。
A2-5.(河田)
同感です。米国において大統領が非常事態宣言を出すのは自然災害,テロ、戦争の場合です。コストが出てくると、普通は他の場合と比較しなければなりませんが、国防という問題はコスト抜きで対応する必要があります。ある種の事故、災害はコスト抜き、つまり国防のスタンスで立ち向かう必要があります。コストパフォーマンスは必要なく、国を守るスタンスが必要なのです。
Q2-4.(松井)
それでもコストを無限大というわけにはいかず、どこか許容する範囲があるのではないかと思いますが、如何でしょうか。
A2-6.(河田)
一番大事なことは、安心感を高めることに向かって継続的に努力するという組織の姿勢が必要です。一定の基準に到達したからOKというのではなく、安心はメンタルの部分がありますので、国をあげて一層の高みを求めて努力しているという姿勢を示すことがとても大事です。
A2-7.(首藤)
これまで原子力の安全文化というのは事業者にしか求められてきておりませんでしたが、今後は規制も学識者も含めて原子力に携わる者は常により高い安全文化を目指して努力していくということが重要であると思います。
Q3.(松井)
原子力の深層防護という安全の考え方は、IAEA等の国際機関でも議論されています。津波のレベル1、レベル2の考え方は、深層防護の第4層、第5層に通じるものがあるように思います。中越沖地震の後、原子力界は耐震指針を検討し、残余のリスクの議論がありました。それに関して何かご意見があればお願いします。
A3-1.(広瀬)
残余のリスクの考え方ですが、事故を発生させないということは勿論重要でありますが、事故が発生した場合、どのように原子力の安全を確保するかを考えないといけません。深層防護の考え方で事故を発生させないように最大限努力する必要はありますが、後は残余だというのでなくて、事故が発生した時にどのような情報を、どのように住民に伝達して、住民の避難を誘導するか、そしてその後どのような処置をするか、そこまで含めて安全性を考えなければいけないと思います。
A3-2.(河田)
トータルとして安全を担保しなければいけないと言った時、その中身がシステマティック的に分かるわけではない。残されたリスクの中で、被害を大きくする最悪のシナリオは何なのかの評価が大事であると思います。
原子力の場合もリスクがある限り、演繹的なアプローチも取り入れ、そのリスクを大きくしないようにすることが必要ではないかと思います。原子力を含む巨大災害に対する共通なアプローチがあってもよいのではないかと思います。
【質疑応答】
Q1.(フロア)
河田先生は、災害について、前から色々と警告を発していたようでありますが、今回の災害についてどのようにお考えか?
A1-1.(河田)
政治家だけでなく、一人ひとりの真剣さが不足していたと思います。継続して訴えていくことが必要であり、原子力においても議論を継続していく姿勢が重要です。
A1-2.(広瀬)
真剣さが不足していたとの指摘は、同感です。 現在の原子力安全文化は、事業者がサイト内の安全を担保するという限定的なものです。そのムラにしか通用しない文化はサブカルチャーです。地震、津波などに関する安全文化もサブカルチャーではなく、もっと一般化しなければなりません。周辺住民の安全の確保の観点も考えていくことが必要だと思います。
A1-3.(河田)
原子力安全だけでなく、他の災害も含めて、それぞれの安全文化をサブカルチャーのレベルでなく、カルチャーとして捉え、育成していくことが必要です。
A1-4.(首藤)
人々の生命、財産、生活と環境を守るといった観点から、原子力だけでなく、全ての防災は共通と思います。
Q2.(フロア)
いわゆる風評被害と、放射線レベルの高い地域に運転手等が入りたくないというのは違うのではないでしょうか?
A2-1.(首藤)
風評被害とは全く事実がないにもかかわらず影響が生じることですので、正確には違います。しかし、現に生活している場に生活物資を運んでもらえないといったことがあったとのことで、「自分たちが生活を営んでいるところに来てもらえないのか」と皆さんが憤っていらしたことには非常に共感できます。ボランティアに関しては専門家が行かないようにと呼び掛けたという話があるとすれば、それは放射線レベルの高い地域に対するものではなく、岩手・宮城など津波被害の甚大だった被災地全体のことかもしれません。
A2-2.(河田)
ボランティアに関しては、受入れ体制がしっかりしていないと上手く機能しません。東日本大震災では、受入れ環境が整っていない場面も存在していたと思います。 ボランティアが必要なのはこれからで、それも専門的知識をもったボランティアが必要ですが、数が限られており不足するのではないかと考えられます。
A2-3.(広瀬)
災害が厳しくなればなるほど、心理学でいう集合的トラウマといったものが起き、
それを癒すのは同じような経験をした人でないと出来ません。単に善意だけでは通用しないのです。その意味で、外部からの支援が難しいといった側面もあります。
いわゆる風評被害は、消費者の防衛メカニズムとして個々人の判断の結果として起きることであり、それなりの根拠をもっています。私は軽々しく風評被害との言葉を使うべきではないと考えております。自主判断、自己責任の下で行動することが重要であると考えます。
Q3.(フロア)
「現地に入った」とかの表現が新聞等にでていましたが、何か逆バリアを設けていて、差別的な表現でよくないと思いますがいかがですか。
福島第一原子力発電所の事故収束において、試験を実施してその結果で対応するとか言っていますが、経験的なことを反映した対処が重要であると考えます。もう少し技術が確立していなかったのでしょうか。
A3-1.(河田)
今回の事故は全部津波が原因であるように言われていますが、実際は地震による被害も出ていると考えています。原子力発電所は、津波対策だけ行えば、安全なのだという方向に導こうとする意図が見えます。中越沖地震後、地震の強震動の影響についても議論すべきと考えていました。質問の答になっていないと思いますが、津波が悪者になっていますが、地震も大きく影響しているので、その点をしっかり検証する必要があると思います。
我々は、「現場に行く」という表現を使います。現場を見ないと仕事にならないからです。意識してそのようにしているのではなく、生活空間の一部として捉えています。
A3-2.(松井)
福島第一原子力発電所において、未だ厳しい環境下で、出来うる限りの努力は行われているのではないかと思います。
Q4.(フロア)
河田先生からもお話がありましたように、今回の事故は津波だけが原因ではなく、地震の振動による影響が関わっていることは同感です。地震動に対する構造の安全性は十分あり、津波だけの影響で今回の事故が発生したと限定しようとする東電とか原子力推進の人々の意図が見え透いています。私も原子力推進派ですが、原子力推進をそのような狭い了見で行うと逆効果ではないかと思います。
タービン建屋で死者が出ており、その原因についても疑問に感じています。
A4-1.(河田)
津波だけが原因ではないと言っていますのは、防波堤がほとんど損傷していないからです。防波堤は、津波による運動エネルギーに耐えたのです。津波の影響はないということです。タービン建屋は浸水しましたが。
タービン建屋での死者は津波以外の機械的なものなど他の原因と思います。
A4-2.(松井)
遺体を搬送された人の話では、水死とされていたはずです。
A4-3.(広瀬)
タービン建屋は耐震性に問題があるのはないですか。2007年の中越沖地震の時にも火災が発生したのはタービン建屋ではなかったでしょうか。
Q5.(フロア)
安心を得るためには継続的に努力する組織の姿勢が必要であるとのお話がありましたが、その通りだと思います。原子力発電所等では、働く人達の放射線の被ばく線量を測定して記録しています。それは企業毎に記録し、最終的には中央登録センターへ登録することになっていて、そこで、原子力施設の被ばく線量を把握管理しています。今回は原子力災害ということで被ばくが周辺にも及び、その取り扱いは今後どのようになっていくか分かりませんが、少なくとも原子力界としては被ばく把握管理に関し、努力してきたということを申し上げておきたいと思います。
Q6.(フロア)
広瀬先生から災害は戦争である、河田先生から非常事態であるというお話がありましたが、今、日本には非常事態法というものはありません。一方、河田先生が民主主義という言葉を何度も使われていますが、これは民主主義的プロセスというものは重要であり、基本であるということは疑いのないところだと思います。非常事態というのは、民主主義が停止され、専門家の判断が極めて重要になってくる状態であり、場合によってはこの二つは相容れないものとも考えられます。今後の法整備等の対応について、どのようにお考えでしょうか?
A6-1.(河田)
皆が冷静になって、いろんな意見を議論して決める土壌の中で意思決定というものが活きてきて、それを体現できるリーダーシップを持った人が出てくると考えています。ステークホルダーを沢山抱えて議論しながら合意形成していくという土壌が土台にあれば、あるフェーズのところで決断しなければならないということがあっても、うまく乗り切れると考えます。意思決定は1回だけでなく、大小含めてシーケンシャルに続くものですので、議論しながら合意形成していくという土壌が土台になければ、続かないと思います。
意思決定に重要なことは時間のファクターです。時間制約の合意のもとで議論しなければ、発散してしまいます。
A6-2.(広瀬)
民主主義と戦争は、矛盾しないと考えます。 戦争の場合の意思決定のあり方と平常時の意思決定のあり方は当然異なりますが、民主主義は最も基本的な原則であると思います。基本的原則の中で何かを緊急に対応しなければならない時、我々の権限の一部を国家の指導者などに委譲するという形で代表として行ってもらうことになります。その人のリーダーシップのもとで戦争が敢行されるのです。当然それは徹底的にチェックされなければならないですが、民主主義の基本を守りながら災害戦争を遂行することに矛盾はないと考えます。