季報 エネルギー総合工学Vol28 No.2(2005. 7) >寄稿

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icon 季報 エネルギー総合工学Vol28 No.2(2005. 7)

村上 敬宜 氏 〔寄稿〕

水素利用技術の難題 −水素は如何に材料の強度を弱めるか

  村上 敬宜
    (九州大学工学研究院 教授)
   

1.背景

  人類は長年にわたって,地球の多くの資源を食いつぶしてきた。
 色々な調査によって,石油が使えるのはあと40〜50年といわれている(
図1)。

図1 主要なエネルギー資源・鉱物資源の残余年数
図1 主要なエネルギー資源・鉱物資源の残余年数
日本は近い将来,エネルギー確保において大変厳しい状況に置かれることは目に見えている。一方で,地球温暖化も進行している。エネルギー問題も地球温暖化問題も各方面で議論されているが,両者ともに台風や地震被害のように一過性のものではないことを認識しなければならない。問題が顕在化したときには後戻りが不可能である。にもかかわらず,今日明日の問題でないとの認識で毎日少しずつ破局へと向かうのが人間の習性である。このような事情で水素をエネルギーとして利用する社会へ向かうことが必須となっている。
 しかし,水素利用社会実現には多くの科学的・技術的課題がある。一方で,社会受容性を高める啓発活動も必要である。国民(一般市民)の協力なしに安全な水素利用社会実現はあり得ない。定置用燃料電池システムの普及にはパイプラインの安全確保が必要であり,車両用燃料電池システムの普及には車両そのものの安全対策の他に利用者の使い方,トンネル,地下駐車場,水素ステーションなどのインフラの安全確保が必須である。安全にかかわる純粋な技術的対策の他にマン・マシンシステムからみた安全対策や啓発が必要である。
 このように考えてくると,水素社会実現のためには基礎から実証までの科学的・技術的研究開発と並行して国をあげての国民の理解を得る活動を早期にはじめることが重要であることがわかる。エネルギーと地球環境問題は,内閣府の主要政策でも取り上げられている。日本の将来の根幹にかかわる問題なのであり,ナノ,バイオ,IT,ロボットなどの科学・技術問題とは次元が異なるものである。
この問題の重要性については吉田邦夫氏(1)によっても論じられている。本稿では,水素利用技術の基盤を支える水素と材料に関わる技術的問題を取り上げる。

2.水素はなぜ材料の強度を弱めるか

  私たちは水やお湯をパイプに流しても重大な事故の心配はしない。漏れることはあまりないし,漏れたとしても危険が少ないからである。高温高圧の蒸気やプロパンや天然ガスなどが漏れると事故につながるが,それでも防止法は確立している。これに対して,水素は大変やっかい者である。他のガスよりはるかに少ないエネルギーで着火する。空気中の濃度も薄い状態(4%)から濃い状態(75%)までが可燃範囲である。ゴム風船に入れてふくらませても翌日はしぼんでしまうのは,水素がゴムの分子の間を抜けて外に出るからである。水素が素通り,あるいは侵入するのはゴムだけではない。金属にも侵入するのである。
 金属に水素が侵入すると,強度が著しく低下することが知られている。破壊を起こしたときの状況はマクロ的には一見金属が脆く壊れたような様相を呈するので「水素脆化」という用語が使用されるようになった(
図2)。

図2 水素チャージ材の引張り試験によるき裂
図2 水素チャージ材の引張り試験によるき裂
ところで,金属に侵入した水素は,金属中でどのような振る舞いをするのであろうか。残念ながら正確なことは未だわかっていないのである。よく知られた実験は次のようなものである。
 「金属を水素ガス中で極めてゆっくり引張ると,空気中で引っ張った場合と比べて伸びが著しく減少する」
 この現象の解釈についても議論が分かれているが,水素がいたずらしていることは明らかな事実である。
 もう1つのよく知られた実験による現象として次のようなものがある。
「切欠きあるいはき裂を付けた鋼の試験片に水素ガス中で荷重をかけると,荷重が一定値でも時間の経過とともにき裂がゆっくり進展し,最終的には試験片は脆く破壊する」。この現象には「遅れ破壊」という名前がつけられている。
 上記2つの例にはいずれも「極めてゆっくり引張ると」,「時間の経過とともに」という時間のファクターが関係しているところが特徴である。このことは現象の解釈に多くの誤解を生む原因になっているが,ここではそのことには触れない。
 上に紹介した2つの例は比較的古くから知られているもので,燃料電池システムではなく多くの化学プラントや原子力プラントで話題になってきた。これらの機器では,水素が金属中に侵入することでき裂が発生し荷重負担能力が低下し,破壊事故に至ることが問題とされた。ところが,燃料電池システムにおいては水素と金属の関係はより直接的である。多くの部品や機器が直接低圧,高圧の水素に曝されるのである。しかも,これらの部品には繰返し荷重がかかる。繰返し荷重を受ける金属の破壊現象は,「金属疲労」と呼ばれている。金属疲労の研究の歴史は古く,約150年であるが,現在でも破壊事故の80〜90%は金属疲労が原因である。多くは空気中の実験データについての研究がなされてきたが,中には液体中やガス中での研究もあり,色々な現象が解明されてきた。
 しかし,水素が金属疲労に及ぼす影響についてはこれまでほとんど研究がなされていない。それほど必要にせまられなかったからである。それでは「研究をすればすぐ解決できるのではないか」ということになる。私たちは10年ほど前から関心を持ち,特に,ここ数年は集中的に研究グループの総力をあげて研究を行っている。現在の感想は「これは大変やっかいで難しい問題」ということである。燃料電池システムに関わるほとんどの企業は,部品や機器,装置の開発は従来技術の延長でいけると考えているふしがある。これは全くの誤りである。「空気中と水素中は別世界」と考えて,技術開発に基礎から取り組むことが解決のへの近道である。学問的裏づけもなく,部品や機器を製作しては試験する,膨大な試行錯誤はエネルギーの無駄遣いであるばかりでなく,自分たちが前進しているのか後退しているのかわからない状況にはまり込むことになる。
 以下では私たちの研究グループの最近の成果の一部を紹介して,この問題について理解をしていただければ幸いである。
 

3. 水素と金属疲労

(1)金属疲労とは何か:疲労試験と現象

 金属に力を繰返しかけると,やがて破壊する現象が「金属疲労」である。大きい力を繰返すと少ない繰返数N(疲労寿命という)で破壊する。繰返す力を減らしていくと寿命は延びる。この試験を疲労試験というが,疲労試験を永遠に続けるわけにはいかないから,どれほどの繰返し数まで実験して,長期間安全に使用できる確証を得るかが問題となる。一般には,疲労試験はN=107(1000万回の繰返し)で打ち切る。それには理由がある。通常使用される鋼の試験のデータは図3のようになるからである。

図3 構造用中炭素鋼の回転曲げ疲労試験データ
図3 構造用中炭素鋼の回転曲げ疲労試験データ
N=107に至るまでにそれ以上繰返しても破壊しない兆候が得られるからである。ある限界の力,正確には応力(単位面積当たりが負担する力:記号σを用いる)を永久に繰返しても破壊しないと考えられる限界の応力を疲労限度(σw)という。材料ごとに疲労限度を求めることは大変重要なことである。疲労限度は機器を長期間使用しても破壊事故が起こらないように設計するためには欠かせない重要な量である。
 ところで,「疲労限度」は金属疲労の長い歴史の中で「力を繰返しかけてき裂が発生する限界」と考えられてきたが,近年の研究で確立されている考え方は「発生したき裂が進展を停止する限界」というものである。「発生したき裂が同じ力を繰返しても,それ以上進展せず停止する現象」は大変奇妙な現象であるが,金属疲労の理解に欠かせない重要な事実である。
 疲労限度より大きい力を作用させたとき破壊に至るまでの材料内で起こる現象はどのようなことであろうか。破壊の原因となるき裂の発生は破壊直前に発生するのではない。き裂は疲労試験開始後の早い時期に発生,それが繰返しとともに徐々に拡大していく。
図4はこの様子を観察した1つの例である。

図4 金属疲労の微視的過程:き裂の発生と進展
図4 金属疲労の微視的過程:き裂の発生と進展
(図をクリックすると拡大します)
き裂は疲労寿命Nfの数パーセントの時期に発生していることがわかる。巨視的には破壊直前まで何の変化も起こっていないように思えるので,疲労破壊は突然起こるように思われているが,実際の現象はそうではないことを理解することが事故防止にも重要である。このように「金属疲労」という現象は「き裂発生までの過程」と「き裂進展・拡大」の過程から成っており,特に巨視的には気づき難い微小き裂進展の過程が寿命の大半を占めているのである。金属疲労は材料が全体的にくたびれた状態になるのではなく,局所的なき裂の発生,進展現象なのである。
 一般には,疲労試験の結果とミクロな現象は
図3図4のようになるが,近年高強度の鋼をN=107回を超えて疲労試験すると,疲労限度の消滅現象が起こることが報告されるようになった。疲労限度が存在しなければ機器の設計は大変困難になる。繰返しを継続すればいつかは破壊するからである。このようなことからN>107での疲労強度を決定することが必要になってきた。最近ではN=109やN=1010までの実験もなされるようになった。N=109の試験には100Hzの繰返し速度でも4カ月を要するのでN>108の試験には20kHzでの超音波疲労試験機も利用されるようになってきた。
 高強度鋼のN>107での疲労破壊は超長寿命疲労あるいはギガサイクル疲労と呼ばれている。低い応力を負荷してN>107でも疲労限度が得られず,破壊が生じる現象については鋼中の非金属介在物がトラップしている水素が影響していると考えられている(2)。N>107での高強度鋼の疲労試験の破壊の起点が非金属介在物であり,非金属介在物のまわりに水素の存在が確認されている。
図5(a)は疲労破壊起点に観察された非金属介在物であり,(b)はSIMSによる水素の検出結果である(3)

図5 疲労破壊起点となった非金属介在物の金属顕微鏡写真とSIMS像
図5 疲労破壊起点となった非金属介在物の金属顕微鏡写真とSIMS像
これらの破壊起点には顕微鏡で観察すると黒く見える領域(ODA / Optically Dank Area)が見られるのが特徴である。介在物と同程度の寸法の微小な人工欠陥を導入した場合や他の組織から破壊した場合にはこのような領域は見られない。1ppm程度の微量な水素でも,長寿命の疲労試験ではこれほどの重大な影響を及ぼすのである。 
 燃料電池システムでは種々の機器が直接水素に曝されるから,これらの機器の疲労強度については,長期間使用中の水素の影響を解明することが必要である。残念ながら,現在のところ,水素が金属の疲労強度に及ぼす影響について系統的に実験したデータは世界中にない。
 次下では,著者らのグループが得たいくつかの例を紹介し,水素が金属疲労に及ぼす影響がいかに重大かを示す。

(2)蓄圧器材料:クロモリ鋼(SCM435)

 SCM435は蓄圧器用や水素圧縮機用材料として使用される。これらの機器を長期間使用するとどれほどの水素が材料中に侵入するかはまだデータがない。そこで,人工的に水素をチャージした試験片について疲労試験を行った。図6に,疲労試験の結果を示す(4)

図6 疲労試験データで見る水素の影響
図6 疲労試験データで見る水素の影響
水素チャージ量が微量でも著しい疲労強度の低下,疲労寿命の減少があることがわかる。初期の水素量が10ppmの場合には水素チャージしない場合にN=108まで耐える繰返し応力の下でもN=104〜2x104程度の寿命しかない。寿命は1万分の1程度に縮まるのである。疲労試験中に水素は試験片から抜け出てしまうので,実際の水素量は10ppm以下であることにも注意しなければならない。このことから,材料が長期間(5〜10年)高圧水素に曝されるとどの程度の水素が材料中に侵入するかを把握する試験が極めて重要になる。
 この問題に関して,典型的な誤解は「高圧水素中で疲労試験を実施し,5〜10年分の繰返し数に耐えたから大丈夫」と考えることである。高圧水素中で疲労試験を実験し,1万回や10万回繰返すのは1日かせいぜい数日しか要しない。このような実験では,水素はまだ十分に材料中に侵入していないので水素の影響は考慮していないことになる。この問題については多くの研究者,技術者の誤解があるので注意が必要である。

(3)ステンレス鋼(SUS304,SUS316,SUS316L,SUS405):配管系,バルブ,ばねの材料

 ステンレス鋼は燃料電池システム,水素利用機器分野で重要な材料である。著者らのグループの実験によれば,平滑試験片(切欠き,穴など欠陥のない丸棒状試験片)を使用した場合は,水素をステンレス鋼にチャージした場合も,水素雰囲気中で実験した場合も寿命にさほどの影響は見られない。しかし,SUS304やSUS316で初期から微小な人工欠陥を導入した試験片では,水素チャージした試験片の寿命が水素チャージなしの試験に比べて著しく短くなる。この原因は,人工欠陥を導入した試験片では,試験片のごく初期にき裂が発生し,ほぼ全寿命がき裂進展に費やされることと,水素が材料中に侵入していると疲労き裂の進展が著しく加速されることである。図7に実験結果を示す。

図7 人工微小穴(直径100μm)からの疲労き裂進展に及ぼす水素チャージの影響
図7 人工微小穴(直径100μm)からの疲労き裂進展に及ぼす水素チャージの影響
(図をクリックすると拡大します)
この現象はSUS316LやSUS405では目立っていない。この差については,SUS304やSUS316の組織が繰返し応力を受けると変態してマルテンサイトになる傾向があること,この傾向は水素の存在によって強くなることが関係している。
 しかし,これらの実験は加工を受けていない材料から試験片を製作した結果である。多くの機器は通常、製作過程で大きな加工(塑性変形)を受けるから,SUS316Lなどについても今後は加工の影響を調べる必要がある。
 紙数の制限から詳細な説明は省くが,結論を要約すれば,SUS316Lは,SUS304,SUS316に比較すると,相対的には耐水素性に優れていること,しかし,水素チャージ量を増し,その後加工を受けた材料のき裂進展特性については,さらに研究が必要である。

(4)アルミニウム合金:高圧水素容器のライナー材

 車載用35MPa高圧水素タンク(図8)のライナー(タンクの内張り)にはA6061-T6アルミ合金が使用されている。

図8 高圧水素容器の外観と構成
図8 高圧水素容器の外観と構成
タンクの外周は繊維強化プラスチック(CFRP)である。ライナーはスピニング加工で製造される(この方法を採用しないメーカーもある)。スピニング加工すると多くの場合,口金部にしわが生じる(
図9)。

図9 高圧水素容器の外観と構成
図9 高圧水素容器の外観と構成
このしわの存在は耐圧テストの際には目立った影響が見られないので現在のところ特別な注意が払われていない。しかし,疲労強度には著しい影響を与えることに注意しなければならない。
 図10は試験片に100μmから1mmまでの人工微小穴をあけた試験片の疲労試験結果を示している。

図10 A6061-T6アルミ合金の疲労試験結果
図10 A6061-T6アルミ合金の疲労試験結果
1mm程度の欠陥は引張り強度にはほとんど影響がないが(
表1),疲労試験では欠陥がない場合に比べて寿命が10分の1以下になることに注意しなければならない。
表1 試験片の引張り強度(A6061-T6)
表1 試験片の引張り強度(A6061-T6)

規定となっている「耐力の1.5分の1の繰返し応力でNf=11,250の保証」の根拠が危ういのである。A6061-T6は水素侵入が少ない材料といわれているが,そのことを詳細に調べた研究は未だない。長期間使用での水素侵入と欠陥やき裂が存在する状態での疲労強度への影響は十分追跡調査をする必要がある。
 高圧水素用容器については近い将来,安全基準が告示・施行される予定である。その内容の大部分は高圧天然ガス用例示基準に準ずるものになるであろうが,水素と他のガスの決定的な違いが考慮されていないことには注意を要する。水素を天然ガスに置き換えて実験したとしても,規定の繰返し数を満足すればそれでよいという訳ではない。例えば,N=11,250回の規定の繰返し数を繰返すテストは1日か長くても数日で終了する。このような短時間で繰返し速度の速い試験では水素は材料中,もう少し具体的にはき裂などの先端には十分侵入していないから,10年程度の長期間に水素が材料中に侵入した状態の影響を調査したことにはならない。実物と同じもので規定の繰返し数だけテストして基準を満足すれば可と判断するのが典型的な誤解である。多くの企業の技術者が,このような考えのもとに製品開発を行っているが,今後はこの問題を正しく認識してもらいたいものである。この問題は圧力容器に限らず,水素関連システムの機器全般にかかわる問題である。

4.結言

 紙数の制限のために限られた材料について限られた条件下での水素と疲労強度の問題について述べたが,今後行うべき最も重要な研究は,「材料が長期間水素に曝されたとき,どの程度の水素が侵入するか」を予測することである。そして,一方で「既知の水素量を含む材料の疲労強度やトラボロジー*特性を明らかにし,それをもとに水素機器の長期間の安全を確保する技術を確立すること」である。地味な研究ではあるが,このような研究なくしては安全な水素社会の実現はあり得ない。ひとたび事故が起これば,日本のエネルギー政策に致命的な打撃となることを技術者の共通認識にしたい。


*摩擦,摩耗,潤滑の問題を総合的に研究する学問につけられた名前。

人間は機械が昨日まで何事もなく運転されていると,今日も,明日も無事に運転されるものと思い込む習性を持っている。金属疲労の世界ではそれはあり得ない。破壊はミクロなところで静かに進行しているのである。このことを認識することが事故を起こさない一番の対策である。

参考文献
(1) 吉田邦夫「水素エネルギーの展望と課題」エネルギー総合工学Vol.28 No.1, 2005.4.
(2) Murakami,Y., Nomoto,T., Ueda, T. and Murakami,Y., Fatigue Fract. Engng. Mater. Struct., 23(2000), 893-902.
(3) 村上敬宜,小西寛,高井健一,村上保夫,「鉄と鋼」,86(2000), 777-783.
(4) 村上敬宜,長田淳治,「材料」,54(2005), 420-427.

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