1.はじめに
1992年の国際連合気候変動枠組条約に基づき国際的な協調の下で温暖化問題への取り組みが実施されることとなった。本条約に基づき1997年に京都議定書が採択されているが,昨今の関心の1つはロシアが批准してこの議定書が発効するかどうかということである(1)。京都議定書が発効すれば批准国は議定書遵守の義務を国際的に負うこととなり,わが国も基準年より6%の温室効果ガス排出量の削減を迫られることとなる。
本稿では,このような状況下でわが国の温暖化対策及びその周辺について概観した後,株式会社三菱総合研究所など(2)が実施した排出量取引模擬実験の結果を引用して,今後のわが国における温暖化対策について考察する。
(1)京都議定書は1997年11月COP3(第3回気候変動枠組み条約締約国会議)にて採択された。附属書T国,すなわち削減目標を設定されている先進国・移行期経済国(東欧及び旧ソ連諸国)の排出量の55%超と55カ国(途上国など含む)の批准が発効要件となっている。後者は既に満たされている。
(2)株式会社三菱総合研究所とナットソースジャパンが共同で実施した。
2.わが国の温暖化対策
ここでは,諸外国の対応状況について概観し,わが国の置かれている状況を述べるとともに,温暖化対策のメリット/デメリットに触れることとする。
(1)各国の状況
表1に京都議定書の温室効果ガス排出削減目標を示す。
この削減目標は,科学的に決まったものではなく政治的に決まったものである。削減の数値目標が日本(−6%),米国(−7%),EU(−8%)と規則的に並んでいることがそれを物語っている。
表1 京都議定書の数値目標
わが国は,図1に示すように1国としての排出量が大きい,また表2に示すように1人あたりの二酸化炭素(CO2)排出量は比較的少ないという特徴を持っており,排出削減目標がEUなどに比べて「厳しい」状況にあるといえる。
図1 エネルギー起源CO2排出量(2000年)
表2 一人あたりのCO2排出量

削減可能性がどの程度あるか短絡的に言うことはできないが,一般的に,EUは東欧との統合,あるいは老朽化してきた石炭燃料利用設備のガスへの転換などのオプションも多くあるなどとされ日本に比べて排出削減が容易ではないかと考えられる。
温室効果ガスの削減コストという観点から見ると,図2に示すようにわが国においてCO2を1トン削減するコストはEUや米国のコストに比べてかなり大きい。
図2 各国・地域の温室効果ガス排出削減対策のコスト比較
同じCO2排出量を削減するのに,わが国が米国やEUに比べとても高い費用がかかることを示している。逆にいえば,日本は相当,省エネルギー・エネルギー効率の向上が進んでいると考えられる。
具体的に各国の国内総生産(GDP)あたりのCO2排出量を比較すると図3のとおりである。
わが国は先進各国中でGDPあたりのCO2排出量が相当少ない。他に少ない国は水力発電を多く用いている北欧,原子力発電を多く用いているフランスなどである。このようにCO2排出量の少ないエネルギー需給構造となっている先進国では,一般にCO2排出削減対策コストが割高になる傾向にあると考えられる。
ところで,京都議定書に係る大きな問題点として世界最大の温室効果ガス排出国である米国が入っていないことがあげられる。なお,世界第2位の排出国である中国は途上国であるために目標設定をしていない(他の途上国,例えばインドも同様)。こう考えると現在の京都議定書の削減義務を負う国は日本も含めて少数派であり,現時点で「地球温暖化問題は国際問題である(3)」という前提はやや崩れてスタートしたともいえる(4) 。
(3)世界中のどこで二酸化炭素を排出しても同じ1トンなら影響は同じである。
(4)1997年の京都会議直前に米国はバード上院議員提案である「途上国の意味ある参加」と「経済的影響の回避」を求める決議を95対0の全会一致で採択しており,簡単に議定書に参加できる状態にはない。
(2)温暖化対策のメリットとデメリット
京都議定書が発効した暁には(5),議定書批准国は具体的な温室効果ガスの排出削減に取り組む義務を負う。
その際,各国が採りうる国内制度として大きく以下の3つがあげられる。
| 1)環境税 |
CO2排出に課税される際には炭素税とも呼ばれる。 |
| 2) 排出量取引 |
排出削減目標を下回った(削減達成)者が得るクレジットを取引できる。 |
| 3) 自主行動計画 |
企業の自主的取り組みであり,協定とも呼ばれる。
|
これらの制度の産業界及び政府関係者の利害を概略的にとりまとめる。表3には環境税(6),排出量取引(7),自主行動計画(8)について示す。
表3 環境税、排出量取引、自主行動計画のメリットとデメリット
(表をクリックすると拡大します)
環境税は,排出削減ビジネスにかかわる者(例:ブローカー,排出削減プロジェクト実施者等)にはビジネスチャンスが増えメリットがあるが,規制対象者にはデメリットになる。
排出量取引は,制度設計が先行するEUでは,現在,排出量取引制度が議論されているが環境税や自主協定の見直しの問題も生じている。これらの制度はそれぞれが有機的に結合し補完関係をなして実施・導入されており(ポリシーミックス),排出量取引のみが実施されると言うわけではない。
(5)EUは仮に京都議定書が発効しなくてもEU独自に排出量取引制度の導入を行うことを決めつつある。
(6)北欧諸国等では多くが導入済みである。
(7)中国等の途上国が排出「権」という概念に反対のため日本政府は「排出削減量(クレジット)」等と標記する。
(8)ドイツなどでは欧州の排出量取引制度の議論が始まるまでは自主協定制度が政府と産業界の間で締結されており、温暖化対策の根幹をなしていた。
(3)わが国の温暖化対策策定の現状
京都議定書を批准したわが国は,「地球温暖化対策推進大綱」を国の温暖化対策の根幹として位置付けている(9)。この大綱は、1998年6月に閣議決定され実施されている。大綱を具体化するための施策メニューが各省庁から示されており,ステップ・バイ・ステップ・アプローチが取られている。それらの取り組みの見直しが今年度にあたっており,今年度中には第2ステップの対策案や取り組みスキームが決定され,第1ステップからの継続施策に加え新規施策が決まることとなる。
既述のように京都議定書発効はロシアの議定書批准に依存している。現時点では発効しない可能性も否定できない(10) 。
ロシアが批准して議定書が発効した場合,わが国の6%削減目標は国際公約であり,不遵守の時にはペナルティーが規定されている(目標未達分の1.3倍のクレジットを次の約束期間のクレジットから差し引く)。議定書が発効すると考えれば目標の達成意欲や取り組み不足部分の補填対策を急速に高めていく必要がある。逆に,議定書が発効しない場合,第1約束期間の6%削減目標に向けての取り組みが遅れる,あるいは変更を余儀なくされる可能性もある(11)。現時点では,ロシアは批准しそうだがいつになるか全く分からない状況である。このため,今年度,わが国の政策のステップアップも一部分は玉虫色で決着する可能性も高いと思われる。
(9)地球温暖化対策推進本部(本部長:内閣総理大臣)が設置され,その閣議決定(温暖化対策推進大綱)がわが国の温暖化政策の根幹となっている。
(10)2004年5月21日プーチン大統領がEUとの包括的な経済交渉を受け,京都議定書の批准に向けた検討を早めることを述べた。議定書の批准に前向きな姿勢に変化したと解釈することもできるが「検討を早める」と述べただけであり,「対応未定」状態は変わらないだろう。
(11)既述の通り日本政府は京都議定書が発効し,国際公約としてわが国が排出削減を達成することを前提に大綱を策定している。
(4)「両にらみ」戦略の選択
わが国にとっての最悪ケースは,2007年(京都議定書の第1約束期間の前年)にロシアが議定書を批准し発効することである。その場合、削減活動をあまりしていない企業はどうなるか想像してみると良いだろう。これが国レベルで生じる可能性を考えると,現時点では,京都議定書が発効する,しないというのを両にらみで対策を考慮しておくことが多くの企業さらには日本政府に求められるスタンスであろう。
省エネとエネルギー効率向上が進んだ日本にとって,京都議定書遵守コストは高く,京都議定書自体が他国・地域と比較して不平等な取り決めであるとの声もある。実際,米国はそのようなロジックで議定書を批准しないと言っている。
しかし,現実問題として日本が京都議定書を積極的に離脱することは考えられない。そのため「両にらみ」戦略を選択するしかない。そう考えると,現段階からCO2削減投資を徐々に進めることが企業やわが国全体にとりリスクとコストを最適化することになるのは確実である。「当面できるところ」を具体的に見極めることが重要である。例えば,他の金融投資のように各種の投資オプションを比較検討して見て,「それらのオプションをどう組み合わせて投資するか」のポートフォリオを構築する必要がある。
ポートフォリオ策定はそれほど難しいものではない。温暖化対策の分野でもリアルオプション分析等の金融工学的な手法の導入も考えられるが,それほど複雑に考えなくてもよいだろう。例えば,ツリー状に分岐を作っていって判断する方式(ディシジョンツリー)なども,温暖化対策オプションの検討にはそれなりに有効である(12)。
(12)リアルオプション分析を行う場合でも結局は過去の経験値,それが無い場合には妥当な予測・シナリオが必要であり,それが精緻に得られなければ,ディシジョンツリーとほとんど同じである。
3.排出量取引模擬実験
京都議定書の目標は,わが国にとって容易ならざる目標である。そのためコスト効果的な京都メカニズムの利用が鍵となる。具体的には,自社対策,排出量取引,JI/CDM(13)のプロジェクトに関するポートフォリオの構築が課題となってくる。ここでは各排出削減手段に伴うリスクの理解と企業におけるリスクヘッジ手法の分析について記述する。
(1)目的・実験方法等
JEMSII(14)の実験形態を図4に示す。実験に用いられる仮想企業として表4のような種類を想定し実験条件としては表5のとおりとした。
表5 JEMSIIにおける実験条件(16)

(13)Joint Implementation(共同実施):書附属書T国間で排出削減プロジェクトを(附属書T国内で)実施し排出削減クレジットを移転するもの。Clean Development Mechanism(クリーン開発メカニズム)附属書T国が投資国となって発展途上国で温室効果ガス排出削減プロジェクトを実施しクレジットを得るもの。
(14)Japan Emissions Management Simulationの略。「排出量マネジメント」という意味である。命名には企業が排出量をいかにマネジメントすべきか,という問題意識がある。
(15)実際の参加企業の所属業種と異なる場合もある(参加企業に合意を得て別の業種となってもらった)。外国政府は当社がその役割を実施(ロシアを想定した)。
(16)一部分は京都議定書ルールに沿っているが,多くは暫定ルール。例えば第2約束期間は実験期間(1日1年分を実施)のため短縮(実際には何年になるかは未定)。
(2)初期データ
今回の実験で用いた国内企業の限界削減コストカーブを図5に示す。
限界削減コストカーブはあくまでも今回の実験に際してのコストであり,実際のわが国全体のコストをマクロ的に示すわけではない。しかし,マイナスコスト(対策を講じれば得をする)対策,安価な対策もあるので,ある程度の対策は国内対策として採り得ると考えられる。
ただ,この曲線の右終端に見られるように最終的には限界削減コストが急速に上昇し,それ以上の排出削減ができなくなるところがある。このように,マクロ的にどのくらいの削減ポテンシャルがあるか十分考える必要がある。例えば,民間企業にとって高コストな対策は現実的ではない。
今回の実験に際し,JI/CDMのプロジェクト費用単価を表6のように設定した。
ここで,スケールメリットの高いプロジェクトは規模が大きくなるほど安くなるよう現実に即した設定にした(ただし,実際のプロジェクト価格とは異なる)。プロジェクト種別にクレジット取得リスクも併せて設定し,CDMの方が費用は安いがリスクは高くなるよう設定した。
また,今回の実験に際して外国政府(クレジットの余剰がある国:ロシアなどを想定)の売却戦略を以下の2つとした。
●JEMS II-1:「売り叩き」戦略
- 計画した売却量以上を売る。
- 他者より低い売却価格を提示する(それにより他者の売却やJI/CDMを妨害することになる)。
●JEMS II-2:「売り渋り」戦略
- 他者より高めの売却価格を提示する(価格吊り上げ意思表示)。
- 計画した売却量の達成にはこだわらない。
(3)実験結果
今回の実験で生じた「不遵守」の状況を以下に示す(表7)。また,排出権価格の推移を図6に示す。
表7 不遵守状況
図6 排出権価格の推移(JEMSII-2:売り叩きケース)
取引量293百万t-CO2のうち海外政府の売却分が206百万t-CO2である。また,2015年末は資産評価実施(持っていても資産価値をもつ,すなわちゼロ円にはならないというルール)について知らなかった参加者の売り取引による価格下落である。
別のシナリオについては図7に示すとおりである。
図7 排出権価格の推移(JEMSII-2:売り渋りケース)
ここで,取引量225百万t-CO2のうち海外政府の売却分は25百万t-CO2である。
図より,海外政府以外の約定が大半だが,前半は売り渋り効果が認められる。
(4)分析
1)排出権価格と削減コストの決定要因
排出量取引以外については,海外政府の売却戦略の影響を受けず,概ね同程度の削減規模である(図8)。今回の実験に際し,多くの企業では,まず,排出量取引の影響を受けずに実施可能な自社対策さらに海外プロジェクトを先行的に実施する戦略がとられた,ということになる。
2)企業の排出削減戦略
国内企業の排出削減戦略において,排出削減ポートフォリオは削減量確保と削減コスト低減の両面から構築することが必要である。その際,JI/CDMプロジェクトを早期に発掘してポートフォリオを決定することが,1つの方法として考えられる。
今回の実験においては,以下のように,ポートフォリオ構築で削減所要量などに応じた様々なバリエーションの対策が講じられた。
- 早期からの排出権購入やコミットメント期間以降における安価なプロジェクトの発掘
- 余剰が見込まれる排出権の早期売却
- 排出権の運用など
リスクマネジメントとしての排出権確保について見ると,比較的早期に達成する企業とコミットメント期末にまとめて行う企業があった。
クレジット取得量のリスクによるプロジェクトの選別は特に行われなかった。
本検討結果から見て,実験と現実との差異はあるものの「経験をつむ」ことが重要であると言えよう。具体的には,企業単位でリスクヘッジ手法を考える必要があり企業特性を反映させる必要がある。例えば,エネルギー多消費産業であれば大規模プロジェクト,多数の中小規模プロジェクト,将来排出量の不確実性がある産業であればオプション取引(ただし市場の成熟が必要)がある。
現実社会では,制度設計スケジュールとの兼ね合いも問題となる。規制反対が制度設計遅延,さらに制度リスク増大へと進み,結果的に対策の遅れ,企業にとってのリスク増大につながる可能性も大きい。現実にわが国の制度設計はEUに比べて遅れており,このまま遅れると各種悪影響も懸念される。
企業の規制反対の背景には,環境税や排出量取引制度(企業の排出枠設定,排出規制の実施)といった,「新しい規制」あるいは「新たな企業負担」が発生することへの抵抗感がある。しかし,地球温暖化問題が存在すると考えたら(17),「企業の社会的責任」は相応にあるわけで「温暖化対策」は避けて通れない。
また,「産業界の反対で温暖化対策が進まない」というステレオタイプのイメージを一般市民に与えてしまうデメリットへの配慮も必要だろう。本音で何でも絶対反対という企業はあまりないのではと思うが「本当にそこまでの対策が必要なのか」という漠然とした不安感があると思われる。要は温暖化対策の相場観が全くないのが,ある意味で,企業の対策を困難にする理由とも思われる。
そのため,産業界と政府の間で早期に「この程度の温暖化対策を講じる」という合意が得られると良い。現段階では「産業界は全ての措置に反対」「産業界は排出増の環境影響に対する負担をすべき」という原則論のせめぎ合いがまだ先行していると思われる。結果として,時間切れで政府の規制案を産業界側が甘受するというところに落ち着きかねない。それでは,既述のとおりの「リスク」や「コスト」を日本全体で最適化することは難しいのではないかと考える。
(17)少なくとも日本政府は京都議定書のあるいは気候変動枠組み条約の言う「人為的な温室効果ガス」によって,温暖化が起こりつつある,というような考え方に賛同しているがため,京都議定書や条約を批准している。
4.まとめ
ロシアがいつ批准するのか分からない現段階では,京都議定書の発効も国内対策によってリーズナブルな費用負担(18)で必要な削減量が得られるかも不透明である。そのような状況が当面続く可能性があるという前提で,企業/産業界はいくつかのリスクに沿ったシナリオ(例:制度設計が強化されるシナリオ)と現状維持のシナリオを描くことが必要だろう。例えば,2つの施策オプションが選択される確率について,可能性をx%,y%[x+y=100%]として検討するだけでも相当な問題意識の醸成,企業にとっての温暖化問題の位置付けの把握につながると思われる。(19)
以上述べたように,「当面,制度設計待ち」というスタンスには,企業にとってあまりメリットはない。最低限の影響の大きさを見積もり,「影響が大きい」と考える企業は,積極的に先取りして温暖化問題に対処していくよう検討を開始していただきたい。
また,「当面,影響は小さい」と思われた企業も当然,将来の不確実要因を十分に把握するのみならず,逆に本問題をビジネスチャンスにつなげることができないか,検討することが必要と思われる。
(18)企業ごとに「リーズナブルな費用負担」のレベルは異なるだろう。経常利益に対しての比率,売上高に対しての比率さらには「環境対策費」あるいは「広告宣伝費」などの既存の費目支出に比べての大きさなど,考え方はいろいろあるが,「企業としてどの程度が適正な水準なのか」は分からない(温暖化対策の適正な費用は「ゼロ」という意見もあるだろう)。
(19)仮に経常利益が年100億円の企業を考える。排出規制強化政策の可能性を50%,そのときの対策費を20億円、排出規制を強化しない政策時の対策費を2億円と見積もったら,想定(期待)される費用は20億円×50%+2億円×50%=11億円であり、経常利益の10%に相当するレベルの経営問題である,というように,企業にとって温暖化問題の重要性が分かる。
参考文献
(1)“ OECD/IEA CO2 Emissions from Fuel Combustion”2000
(2)JEMS資料(公開用概要版),株式会社三菱総合研究所,2003.3
(3)『 CO2排出権取引市場と日本企業の対応について』,冷凍2003年4月,伊藤一道 |
|