1.はじめに
1年ほど前,「日本エネルギー学会」に「省エネルギー部会」(柏木孝夫部会長)ができ,その中に「要素技術」,「システム技術」,「社会システム」の3つの分科会が設けられました。最後の「社会システム分科会」は,社会システムの省エネルギー化に関する提言をまとめようということで始まりました。
今日のタイトルは,「エネルギー文明学」としましたが,そういう学問があってもいいんじゃないかと期待を込めて付けてみた名前です。この中で,オイルショック以来の省エネルギーがどういう形で効果を上げてきたのか考察し,省エネ促進と新エネ導入を一緒にやった方がいいという提案をさせていただきたいと思います。それから,文明学を作る上でもう一度エネルギー問題と火について考え直す必要があるという話をさせていただきたいと思います。
2.省エネ効果−人間・装置系の視点
早稲田大学理工学部の永田勝也教授が「ライフスタイルにおける行動改善による環境負荷削減効果の評価」(2002年8月)を発表されています。そこでは,家電製品を買い替えることなく,人間が現在の製品の使い方を変えたとき(例えば,冷蔵庫内で食品の詰め過ぎをやめる,ご飯は1日2回に分けて炊く等)の省エネ効果と,冷蔵庫や掃除機,温水式便座,ビデオデッキ,パソコンなど家電製品そのものを省エネ型に買い換えた場合の省エネ効果について評価しています。現状の製品で使い方を変えるだけで十数%エネルギーを削減でき,省エネ型商品に買い換えた場合には,約3割の削減ができると評価しています。
突き詰めて考えると,省エネの効果は,技術進歩とライフスタイルの掛け合わせで出てくるわけです。すると,機械と人間との関係が問題になってきます。
3.文明とは何か
(1)文明の定義
文明とは,「人間と人間を取り巻く装置群とで作る1つの系であり,システムである」(梅棹忠夫)と定義できます。「装置群」には,具体的な器物,建築物の他に諸々の制度や組織を含めることができるでしょう。つまり,人間が人工的に作り出してきたものすべてが装置群だと言えます。ですから,文明とは巨大な工業力,全国規模の交通通信網,行政組織,教育制度,豊富な物資,生活水準の高さ,高い平均寿命,低い死亡率,学問,芸術など,より良い暮らしを求める人間の望みを叶えてくれるものと言うわけです。
他の人の定義を読んでみても,文化とは人間装置系としての文明の一側面であって,文明の方が文化より大きいという捉え方をしている人が多いようです。
(2)夏目漱石の文明開化観
ここで紹介するのは,日本が日露戦争に勝利した6年後,明治44年(1911年)に夏目漱石が和歌山県で行った「現代日本の開化」と題する講演です。漱石全集に入っています。文明開花のモデルを,人間という観点から,つまり,人間の活力が外界の刺激にどう反応するかという観点から定義しています。漱石によると,外界の刺激には大きく分けて,「義務の刺激」と「道楽の刺激」の2つしかありません。
[義務の刺激]
何かをしなければならないというとき,人間は,短時間にできるだけ多くの働きをしようと色々工夫するというのです。つまり,人間のエネルギー,活力を節約しようとするというわけです。その結果,色々な発明が出てくる。汽車や汽船,電信電話,自動車,飛行機とかが出てくる。
さらにその結果どうなるか,私の考えを図1の右上に書きました。人間がエネルギーを節約し,仕事をしない代わりに機械が仕事をするわけです。仕事や熱というのはエネルギーそのものですから,これは増エネになる。だから,義務の刺激が強ければ強いほど,例えば,企業なら競争しなければいけないとなればなるほど,色々な機械ができ,その機械が仕事をして増エネになる。省エネにはなりません。
図1 夏目漱石の文明開化観
[道楽の刺激]
道楽といっても別に悪いことをするわけではありません。自ら進んで自分のエネルギーを消耗して嬉しがる反応を起こさせる刺激のことです。その結果,娯楽や文学,科学,哲学というのが出てくる。そして,人間が凄くわがままになったり,贅沢になる。昔から儒学者や道学者が倫理という立場から,「人間は贅沢しちゃいかん」と言っているのですが,これは自然の大勢に反した訓戒であるからいつでも駄目に終わっている。何より証拠に,人間社会は時が経てば経つほど,わがままになって,贅沢になっている。
では,生活が楽になったかというと,そういうことはないと言うんです。昔は人間が死ぬか生きるかという問題だったけれども,漱石のいた20世紀初めには,どういう状態で生きるのかという選択の問題になっている。ますます生存競争が激しくなっていて,日本も大変だと言っています。
漱石が言いたかったことは,ヨーロッパがルネッサンスの波から産業革命の波まで長い時間をかけゆっくり進んできた過程を,日本は短期間で波の一番高い部分を飛び飛びで吸収しようとして大変になって,神経衰弱になっているんじゃないかということです。
このモデルは非常に面白いと思うんです。道楽の刺激でわがままな社会,つまり,エントロピーが大きい社会になる。義務の刺激のほうはできるだけ自分のエネルギーを節約していこうとするけれど,結果的に機械の方がエネルギーを消費する。そして物理的にもエントロピーが増大する。漱石が指摘したように,文明は生存競争を厳しくする面があります。資源エネルギーの問題も必然的に文明の流れの中に入ってきます。増エネが漱石の言う「自然の大勢」ということになるでしょう。
だから,省エネというのは「自然の大勢」に反する,かなり難しいことだということを,まず認識しなければいけません。
4.省エネの30年史
過去30年間の省エネのインセンティブの変化を図2に示しました。
図2 省エネ・インセンティブの時代的変化
日本で省エネが叫ばれるようになったのは,1973年の第1次石油ショックからです。石油の値段が4倍にもなった。何もしないと燃料費が4倍になりかねないわけですから,必死でコスト低減の努力をしたんです。その結果,日本は省エネ先進国になりました。
ところが,80年代半ばのバブル経済の頃,所得が増えたために消費も増え増エネになりました。90年代に入ったら,今度は地球温暖化が問題となり,対策として二酸化炭素(CO2)を削減しなければならなくなりました。燃焼によってCO2を排出する石油など化石燃料の消費を減らし,太陽光,風力,バイオマスなど新エネルギーを導入するとか,物をリサイクルするとか,色々な手があります。しかし,どうもこの温暖化防止策というのは「やると儲かりますよ」という刺激でもないし,コスト削減に駆り立てる刺激でもありません。地球全体が暖かくなるとか,海面が上昇するとかで,経済の次元に下りてこないインセンティブなんです。こういうものに,私の言う「悪い」人間や「悪い」企業というのはなかなか反応しません。だから,70年代以降の30年間で省エネが進んだり進まなかったりしているんです。
やはりここで,漱石が言ったように,人間がどういう刺激に反応するかもう一回考え直さないといけません。「義務の刺激」というのは規制のことです。「道楽の刺激」というのは自発的なアクションです。よく考えてみると,これはどっちもうまくいかないんです。我々は民主主義の社会に住んでいて,わがままになっていますから,「規制は少ししかしないでくれ」と言います。また、自発的なアクションで温暖化防止をしようという人は多分少ししかいないと思います。これも駄目ですね。では,どうしたらいいのか。非常に難しい問題だと思います。
5.省エネ行動の類型化
省エネ行動をどういうふうに考えたらいいのかということで,図3を作って見ました。
図3 省エネ行動の類型化
需要サイドで見たとき,省エネはON型とOFF型の2つに分けられると思います。ON型の省エネというのは,例えばエアコンの設定温度を夏は1度上げ,冬は1度下げるというような省エネです。
OFF型の省エネというのは,これはまさにエネルギーを使うのをやめるということです。待機電力を切るとか,1時間ぐらいテレビを観ないとかです。
省エネ型製品といってもライフサイクルアセスメント(LCA)で,省エネなのか判定しないといけないと思います。省エネ製品に切り替えていくと,下の三角形で上へ上へと行くわけです。この三角形は機械と人間との関係ということで,どうしてもエネルギーを使わなきゃいけない。その時どうするかという話です。
上の逆三角形は,供給サイドとか,社会全体の仕組みです。社会システムに関しては,エネルギーを使う機会そのものを減らしていこうということで,逆三角形になっています。そういう区別があります。
6.社会システム分科会での検討
「エネルギー学会」の「社会システム分科会」で議論していることを図4にまとめてみました。LCAで物事を考えて色々な法律,企業活動の上流から下流へということで閉じた形で書いてあります。
図4 商品ライフサイクルから見た環境保全・省エネ支援・促進策
補助金の活用法とか,トップランナー方式をどういう機種に拡げていくか,どういう形で省エネ商品の表示をするか,ESCOサービスなど企業の省エネをどういう形で進めていくか,機械をどう使うかということでエコドライブ,アイドリングストップとか,車を共有してカーシェアリングで車の稼動率を上げていくとか,台数を減らすとか,色々なものがあります。交通システムだとか,自転車をもっと使えとか,夏時間とか,それから建築の設計屋さんなんかでも大型で高い設備を導入する設計をした方が報酬が上がるとか,倫理教育をしようとか,いろんなことを研究しています。
7.エネルギー文明学の構想
エネルギー文明学の領域はどこなのか考えてみましょう。
図5の真ん中に神様がいて,人間がその神様を中心とする軌道上を動いている。工学というのは神と人間との間にあるような学問です。
図5 文明学の領域
人間の軌道と工学の軌道の間は幅広いと思うんです。その間を文明学がカバーするのだと思います。つまり,今問題となっている消費をどうコントロールするかということは,簡単なようで,実は非常に難しいです。環境税をかけて値段を上げて人間の行動を変える,機器に働きかけて省エネ型の商品を作るというのもあります。人間に働きかけたり,機器に働きかけたり,そういう人間と装置系の両方に働きかけて何か有効な問題解決の何か手立てがないんだろうか。文明学は,そんなことを考えなければいけないわけです。
図6 エネルギー文明学の構想 (図をクリックすると拡大します)
図6の車を作っている企業はやっぱり儲かるから作っているわけです。儲かるから株主に配当も出せるし,賃金も払える。消費者の方は欲望を満足させるために車を走らせ,結果として環境を汚してしまう。それからインフラも,道路交通法という制度も必要なわけです。
車だけを考えず,企業活動,消費者,環境,資源という横軸と縦軸の皆が考慮すべき対象として入ってくるだろうと思います。こういう学問作りに参加するのはどういう人たちなのか例示したのが図7です。
図7 エネルギーへの学際的アプローチ
社会システム分科会では,社会学,哲学,環境経済学,LCA,ESCO事業者,法律家も入れて検討を進めております。当然,自然科学とか工学は前提として含まれています。
どうしてかというと,そもそも「エネルギー」という言葉は,1807年にイギリスの物理学者のヤングが作ったんです。ですから,「エネルギー」は物理学的概念なんです。そして,ジュールの実験が1843年,それからヘルム・ホルツの自由エネルギーという熱力学の第2法則の基本が発見されたのは1847年です。蒸気タービンは1884年に発明されました。ジーメンスが発電機を作ったのもやっぱり1870年で19世紀の終わり頃です。
社会科学の研究者でエネルギーに関心を持っている人はあまりいません。私の同僚に聞いても,「燃料電池ができたらガソリン車は要らなくなるし,エネルギー問題は解決だね」と言う人が多いです。水素というのは2次エネルギーなので,それをどこから作ってくるかが問題だなんて気にならないんですね。ある意味では単純です。もう少し社会科学系の人たちがエネルギー問題を研究して,社会的な議論がもっとされる必要があると思ったわけです。
8.省エネと新エネの進め方
(1)エコノミー優先でエコロジー優先へ
環境が大切だからというふうなことで進めていっても話はうまくいかないというのが最近の僕の感触です。エコノミー優先が実はエコロジー優先につながっていく,そういうところで知恵を出さなきゃいけないんじゃないかと思うんです。
図2で過去30年間の省エネの進み方を示しましたが,やはり経済的なメリットがあった70年代に省エネが進んでいます。90年代はエコロジー優先だったと思うのですが,結果として省エネはほとんど進んでいない。だから,人間はやはり「悪」で,わがままになっている。その時に,「わがままではいけない」と言っても駄目なんです。100年前に漱石はそう言っている。だけど,私たちは同じ間違いをやろうとしていたのかも知れません。まだ遅くないから,エコノミー優先でやったらいいんじゃないかと思います。
1つのヒントは,光熱費ゼロ住宅というコンセプトです。既に2万軒ぐらい売れています。これは,まず,色々な断熱材を張りめぐらせてエネルギー消費を3分の1ぐらいに減らす。それから,太陽光発電を入れる。余った分はもちろん売る。さらに,深夜電力を上手に使うんです。そうして,4人家族,新築の住宅で,年間25万円ぐらいの光熱費をほとんどゼロに近づけようというものです。
太陽光発電,エコ給湯器を入れたりすると,250万円くらいかかります。しかし,毎年20万円ぐらいずつ光熱費が減っていきますから,十数年でゼロになるわけです。
(2)一般家庭における省エネの試算
省エネと新エネ導入を同時にやると,一般家庭でどのぐらいの節約が可能か試算してみました。表1に示します。
表1 エネルギーへの学際的アプローチ
待機電力だけでも9 %は減らせるという計算がありますから,5%ぐらいは難しくないでしょう。ガソリン代も入れますと,1家庭で年間30万円ぐらいの光熱費を使っています。4人家族の2900万世帯で4350億円の節約になる。これに見合った光発電としては年間約50万kWの設備が導入可能です。今の仕組みだと売電で年間大体3%ぐらいの利回りになる。すると,元金を別にして,20年間で6割ぐらいは回収できるわけです。残り4割は,深夜電力を使うとかで2%の節約をする。結果として7%節約をしてみる。それで,5%分を太陽光発電に投資するんです。2900万世帯でやると,10年間で500万kWぐらい太陽光発電が導入される計算になります。年間52万kWですから,10年間続ければ520万kWです。これだけで2010年の太陽光発電導入目標である482万kWを超える規模になるんです。
どうしてこういう計算をしたかというと,家庭というのが省エネの仕組みから一番抜けているところだからです。ESCOは企業向けです。ISO14000も企業を対象とする基準であって家庭向けではありません。家庭向けには何もないまま,「温暖化防止のために節約しろ」と言っているだけです。これでは全然効果がありません。
しかし,新エネを導入するとCO2の削減効果は大きいんです。例えば,3kWの太陽光発電で年間700kgぐらいのCO2が削減される。ハイブリッド車を買うと250kgぐらいが削減される。だけど,いわゆる省エネというのは,例えば省エネ型の冷蔵庫に買い換えても年間24kgしか節約になりません。使わないときにプラグを抜いても87kg,冷房を1度高め,暖房は1度低めに設定しても30kgぐらいしか減りません。太陽光発電を入れるとか,ハイブリッドカーを買うというのは桁が1つ大きいぐらいの効果があるわけです。ところが,それだけやろうとするとものすごく高くつくわけです。だから,省エネでお金を貯めて,それを新エネに回すというハイブリッド戦略が有効だと思うんです。これによって,家庭も儲かるということです。
統計上,家庭が占めるエネルギーのシェアは14%です。しかし,14%の中にガソリン消費も水の消費も入っていません。水も電気を使います。それから,物に含まれているライフサイクル的な間接的エネルギーを入れますと,最終エネルギー消費の50%ぐらいが家庭用で使われている。産業というのは消費のために生産しているわけですから,これは当然です。
だから,ライフサイクル的にすごい省エネの商品に買い換えていけば,家庭がもつインパクトは非常に大きいんです。ところが,「義務の刺激」でも難しい。そこで,エコノミー優先ということで光熱費ゼロ住宅のコンセプトを応用できるのではないかというのが今日の具体的な提案の1つです。
9.エネルギー問題と火
ギリシャ神話に「プロメテウスの火とパンドラの壺」という話があります。万能の神ゼウスは,人間に火を与えませんでした。人間は生の肉を食べ,寒さに震え,野獣を恐れて岩陰に潜んでいました。毛皮もなく,ひどく惨めでした。
そこで人間であるプロメテウスが天界から火を盗んで来るのです。人間が火を使うようになったのでゼウスは「けしからん」と言って,人形に息を吹き込んで人類最初の女性,パンドラを作りました。そして,パンドラをプロメテウスの妻にと差し向けたのです。その時,パンドラは,ゼウスから渡された1つのプレゼントを持っていたんです。それは「絶対に開けてはならない」とゼウスに言われていた壺でしたが,好奇心を抑えることができなかったパンドラは壺のフタを開けてしまいます。すると,壺の中から疑いや争い、憎しみなどが飛び出して来て,一斉に世界に広がってしまいました。慌ててフタを元に戻したんですが,希望だけが壺の中に残されたという話です。実はプロメテウスが盗んだ火というのは,バイオマスの火だったんです。
動物が植物を食べ,その動物の死骸が化石燃料になった。その化石燃料を燃やしたためにCO2が出てくるわけです。
これまでのエネルギー変換技術の主流は,熱機関の技術でした。今,その熱機関をやめて「直接発電」,ダイレクト・コンバージョンという技術を使おう,火を使わない,火に頼らないエネルギー革命が始まっていると思います。燃料電池も太陽光発電もそうです。
いいエネルギーは何かというと,私は「クリーン」,「安全」,「安い」,「いつまでもなくならない」という条件を満たすエネルギーだと定義しています。ところが,色々なエネルギーをチェックしてみると,4つの条件の全てを満たすものはありません。しかし,我々には「希望」が残されているわけですから,何とか4つの条件をクリアするエネルギーを見つけなければいけません。
一般の消費者も政府も政治家も,こういうエネルギーを人間や社会の観点から問題にしていかなくてはいけないんじゃないか。そのために,色々な学問を融合して「エネルギー文明学」を作っていくことが非常に大切だと思うんです。「言うは易く,行うは難し」です。工学の中ですらエネルギーを扱う学問の融合は難しいです。電気工学,機械工学,化学工学,あるいは原子力工学とかがあります。発電所で何か問題があったときに「1人で全部わかる人はいない」と言われる所以です。
社会科学で融合が可能なのかということですが,そう簡単ではないと思います。しかし,私が感じるところでは,エネルギーは物理学の問題から社会的選択の問題に移ってきていると思います。その社会的選択を支える有力な理論や学問があまりはっきりしていません。そこに1つの大きな問題があるだろうと思っています。(拍手)
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